レビューの時代
二週間強制的に車を運転できるように強いられる施設に閉じ込められていたtakatok0です。
ここに閉じ込められていたらいつの間にか、早寝早起き、三食食べるという非ゲーマー的習慣を得ることに成功しました。
弊害としてフレンドとのゲーム時間が格段に減りました。
まあ、それは置いといて本論に入ります。
レビューの時代
お客様は神様
こんな風潮がサービス業だけではなくレビューの出現により様々な業界にも浸透している気がします。
近年Amazonレビュー、Google Play、映画ドットコムと様々なものが個人的な価値観で評価されています。
美術作品ではないとはいえ、漫画やアニメといったサブカルチャーが消費者にすり寄らなければいけないのはどうかなと個人的には思っています。
先日、フリクリ オルタナという映画を観に行ったんですけど、フリクリ OVAを現代風にしっかりとリメイクしていてとても良かったです。
しかし、映画ドットコムでは散々な言われようでした。
フリクリは2000年から2001年にかけてリリースされたアニメ作品です。
そして、恐らくファンの多くは雰囲気に魅了され、内容を勘違いされてる方が多いです。
一見、主人公のナオ太が成長する物語のように見えますが、実はナオ太は何一つ成長していないことを描いている作品だったのです。
言っちゃえば「何もしていないのに」お兄ちゃんの恋人のJKに好かれたり、セクシーな宇宙人に迫られたり、同級生に好かれたりといった小学生の男の子が主人公の「ハーレム系」アニメなんです。
さあさ、レビューを読んで、、いきません!
少し読んだんですけど読むに値しないと思います。(というか、誹謗中傷が多い😢)
個人的な過去を美化し今の作品をリスペクトせずに一方的な誹謗中傷がとても多いです。
まるで自分の作品であるかのように語っている方が多いのがこういった続編系の作品のレビューの特徴です。
今作は「毎日が毎日毎日ずっと続くと思っている」17才のJKが主人公です。
JK達の「恋 」「夢」「友情」のテーマな話がベースにあって後半で怒濤の展開って感じでした。
劇場版「フリクリ オルタナ」& 劇場版「フリクリ プログレ」本PV - YouTube
こちらの前半部分です。
確かにアニメーションとしての動きは格段に前作の方が良いと思いますし魅力的です。
しかし、本作は前作を越えるのではなく、別作品にしようという意欲作だったように感じます。
そして、ラストを観れば納得される方が多いと思いますが、リスペクトの塊と言えるストーリー構成だったと僕は思っています。
兎に角ここまで評価が低くなるような作品では決してないと思います。
あんなに神格化されている作品の続編を作るというのはとても難しいし、誰もやりたがらないことだと思います。
そこに真摯に向き合って挑戦された制作者の方々を僕は尊敬します。
なぜ評価が低いのかについては、繰り返しますが前作の美化とテーマの違いに対しての好みの問題を作品自体への批判に刷り変わってる点でしょうか。
本来、この後に今作のメッセージ性などに触れた方が良いのですが、正確性が欠けることになるのが目に見えているのでやめておきます。
自分はメモを取りながら映画を観るタイプなので映画館で観るときは、脳みそすっからかんで楽しんでいます。
なぜなら暗くてメモをとれないからです笑。
そのうちストリーム配信されたらしっかりと考察したいなと思います。
他の人が考察をするだろうと思ってぼんやり見て帰ったら酷い評価しかなくて誰も考察をしないのではないかという、恐れがあります。
見応えある作品だったので少しずつ噛み砕きたいなと考えています。
メタ作品なのは前作から引き継いでいて、恐らく日常アニメに対してのカウンターの部分があるかと思います。これが本当の意味での日常アニメだって言われてる感じがしました。
で、で、これだけではただのフリクリ批判への批判で終わってしまいます。
それは個人的には不味いと思うので人によって価値観が違うので良い作品と悪い作品を単純に分けるのは難しいよっていう話を書きます。
そもそも映画にはメッセージ性やテーマがあります。
それらを言葉で表現できないため映画にして我々消費者に伝えているのです。
勿論スリリングなアクションが魅力的な映画や難解なトリックが施されているサスペンス映画といった娯楽的な映画もあります。
2.テーマ性と好みの問題
僕の好きな映画に『boyhood(6才のボクが、大人になるまで。)』という作品があります。
この作品は4人の家族の話を12年間同じキャストで撮り続けたという物凄い作品なのです。(ハリーポッターを思い浮かべると分かりやすいと思います。少しずつ6才だった主人公が成長して顔つきが変わったり、アメリカ社会が発達して周りに置いてある電化製品が変化しているのもとても面白いです。)
そして、内容は退屈かもしれません。
6才だった僕の12年間を切り取った作品なのです。しかも、切り取ったとわからない作品なのです。テロップで何年何月ーという感じが出てくるわけではなくいつの間にか身長が伸びていたり、髭がはえていたり、母の顔が少し老けていたりと時の流れをあまり感じられませんでした。
インパクトのない日常の積み重ねで人というのは実は変化していってるという作品でした。
「時間は常に流れている」そんなことを考えさせられる作品でした。内容としてはぶっちゃけ退屈です。それでも引き込まれるのはとある家族のホームビデオを見ているような少しずつ時間が流れているのを実感するからです。
この作品を評価するときに退屈だったと言うことはとても簡単です。
でも、それはただの感想で評価するベクトルとは別なのではないかと、僕は思います。
フリクリも同じです。(前作と比べて)つまらなかったと評価してる人が多いのですが、そんな見方を偉そうにして何になるのかがわかりません。
3.自己肯定感を高めるツールとしてのレビュー
結論としてはレビューなんて期待しちゃいけないんですよね。
僕は今回面白かったな~ってホクホクした気持ちで肯定感を高めるためにレビューを覗きました。そうしたら批判だらけで悲しい気分になりました😢。
良くない!笑
そんなのは見る情報を取捨選択すれば良いだけなので僕が悪いんですけど。
ただ、がっかりした人にとったは自己肯定感を高められるレビューが多くてきっと楽しいのだろうなとか思いました。
世知辛い世の中だ...。僕もそっち側でいたかった。
まあ、それらは置いといて、価値のある文章というのはその作品だけで完結しないと思っています。
それらが僕にはできないのでここでポチポチ書いてます。
アニメ作品はジブリをポニョしか見ていない稀な層ですので時間をつくってみていこうと思います…。
ネットは自由な反面、本来書かなくても良いことや読まなくて良いものもあると思います。
これは僕自身はよくノリと勢いでやっちまいますが気を付けます。
はい。いつも帰着が上手くいきません。
以上です。